トピックス
左)座礁船 三重県津市 1994年 右)シリーズ「家」より 1968年6月22日
当館では、日本の現代写真の第一線で活躍し続ける田村彰英の個展「夢の光」を開催いたします。田村は、1960年代後半から国内の米軍基地を撮影した〈BASE〉が、その社会的・政治的文脈を排除したきわめて感覚的な映像として注目されました。近年は、変容が進む都市の景観を記録したシリアスな作品を精力的に発表し続けています。展覧会に寄せる言葉から作家の今を探ります。
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〈夢の光〉に寄せて 田村彰英
初 心
私が、子どもだった頃、アメリカは憧れの国だった。
テレビドラマの西部劇や、黄金の50年代、ホームドラマが輝いていた時代、アメリカに対する憧れは増すばかりであった。飛行機が好きだったので、BASE "YOKOTA"や"ATSUGI""YOKOSUKA"の存在を、飛行機の雑誌から知ることとなった。東京西部の武蔵野の雑木林と麦畑に囲まれた広大な、YOKOTA BASEの白いフェンスと、緑の芝生のアメリカの町と、滑走路の逃げ水に浮かぶ戦闘機のある空間が不思議に思えた。航空雑誌を見て、4x5カメラとコダックのエクタクロームで撮影された美しい描写に魅了され、いつかカメラマンになりたいと思った。写真学校に通い始め、さらにBASEへ関心が深まった。
写真教育の中で、BASEが米ソ核戦略の緊張感の狭間に存在することを知った。あまりにも美しく、不条理な戦闘機を目の前にして、私の気持ちは揺さぶられた。核のボタンで、一瞬にして世界が消えてしまう恐怖と、エキゾチックで不思議な憧れというBASEの矛盾が、私の心を揺らしたのだ。
困難な時代
東日本大震災、原発事故など歴史上まれに見る困難な時代にプロ写真家として、すべての写真を作る人の意識として、無意識として、現実の状況を考えざるを得ないと私は思っている。本来、写真とは速報性、報道性を内包した芸術であると思う。
「写真とは自分の心を写す鏡であり、自分が社会を見るための窓である」
(MIRRORS AND WINDOWS/1978/MOMA刊)
ニューヨーク近代美術館の写真部門ディレクターだった故ジョン・シャーコフスキー氏の名言を思い出す。この言葉は、今回の写真展のテーマでもある。現代の厳しい高度管理社会では、テーマ、主題、思想は、写真という表現手段を使い、いかに生きていくか、正しく生きていくかの方法を見届けるための芸術手段であると思うからである。私は心の中の混乱と矛盾の暗黒のかなたの光明(夢の光)を探し続けている。
輝ける誤解をめざして
暗黒のかなたの光明とは―。私の作品〈家〉の中の落雷の光、〈BASE〉の逃げ水に浮かぶ戦闘機の輝き、被災地に降り注ぐ光、福島第1原発の瓦礫に降り注ぐ光りに対する集躁感かも知れない。困難と混乱のまま、何も解決出来ない苛立ちの感情を今回の写真展で表現したかった。